トップページ » エチオピア・スタディツアー » 2010年の報告

2010年の報告

フー太郎と行くエチオピア スタディツアー2010

植林ツアー2010に行ってきました!

エチオピア再訪が叶う

今年、ラリベラ空港から直行した苗畑はまるで砂漠の中のオアシスのようで沢山の苗木が育てられていた。大きな岩や石ころばかりの土地が立派に整地され、そこだけは緑でキラキラ輝き別世界、現地の人の協力があったにしても大変な御苦労があったであろう。人を指揮することは容易ではない、ここまでに仕上げられた岡野さんの行動力は凄い、任務を終えられる彼に「お疲れさま、そして、ありがとう!」と感謝の言葉を伝えよう。

フー太郎のツアーは、植林以外に学びと出会いがある。最も強く印象に残った出来事はゴンダールで、マザーテレサの施設「マザーハウス」を訪ねたこと。見るもの全てが言葉を失う、様々な問題を抱える人達の悲壮な眼差しに応えることが出来なく胸が痛む、門の外にも大勢の人が列を成し食料配給の日を待っていた。そこで私たちは、それぞれが許す限りの食べ物を分けてあげようと話し合ったのである。訪問を終え帰ろうとした時、案内してくださったシスターが私に向かって「あなた、英語を学んで、またここに来て」と。どうして名指しされたのか訳を尋ねたいと思ったが理解できないまま施設を後にした。

今回植林以外の目的は、『いのち』をテーマの写真を撮ること、もう一つは、『2007年に出会った青年との再会』。再会の願いは叶ったがテーマ写真は撮れなかった。ある教会内を撮影中に突然シャッターを押すことに罪悪を感じ、記録として残さないで心の中に収めようと思った。

肝心の植林作業は雨が来ないので思ったより多くは植えられなかったが、苗木が無事に成長してくれることを願う。今年のツアーはとても楽しく貴重な体験ありの有意義な旅であった。12月5日には「報告会&コンサート」を開くとこにしている。もしも機会があれば、また行きたい!私の夢は続く。

(鳥取支部長 松岡和江さん)

植林ツアーに参加して

2010年ツアー植林後の記念撮影

2010年ツアー植林後の記念撮影

ラリベラへ日本から約16時間のフライト。途中ゴンダールで1泊し、その間訪問したマザーテレサの家で、忘れられない1コマ。目の見えない子供が私になついて手を離さない。ずっと一緒にいたいと態度で示され困りました。

以前ツアーに参加したことがある方や初代駐在員の熊田さんから、現地の様子の話を聞いていたので、10年ひと昔と言うようにずいぶん変わっているのではないかなあ、と感じました。それでも聞くところによると、村には車は数十台しかないというので、人間やロバの力は未だに絶大なものでしょう。ちょうど日本の50年くらい前にさかのぼり、自分の幼少時に帰った感じがする土地でした。

ラリベラ到着の日には歓迎会でもてなされましたが、町全体が停電になり、懐中電灯やローソクの火で夜を過ごしました。電気のせいで水も止まり、シャワーが使えず、トイレの水には困りました。しかし事前に、水の大切さを聞いていたので、それほど深刻ではありませんでした。滞在して感じたのは、ラリベラの町がいかに安全か、そして日本人に対して好意的なことでした。

肝心の植林当日は体調を崩していましたが、駐在員の岡野さんや環境クラブの子供たちのおかげで、ここぞという時でしたのでなんとか元気を出して植林することができました。本当に感謝です。ツアーの最初の頃は無事予定通り帰れるかなと不安になり、また、今回自分の為す事が決められるかなと思って旅立ったので、予定通りに日程をこなせたことは満足の旅となりました。

(市川市 山六公三さん)

エチオピアへの旅

今年の植林ツアー日程が、ドイツに嫁いだ長女の初出産と重なり、親としてはドイツに行くべきか悩みました。しかし、このチャンスを逃したら二度と行けないかもと思い、これから生まれてくる孫の記念樹を自らの手で植林するためと周囲に納得させて、エチオピアへと旅立つことになったのでした。

ラリベラでは、現地駐在員の岡野さん、日本での研修受け入れで5月に会って以来のシサイさんの懐かしい顔、現地スタッフの皆さんの温かい歓迎が待っていた。続いて活動地をあちこち見学したのだが、どこまでも続く赤茶けた大地、またそこに育ち始めている木々や苗木の緑を目にし、新妻さんの想いと10年以上の活動の成果を見るような気がして、感動を覚えずにはいられなかった。フー太郎は、これからの10年でラリベラの自立を目指すとのこと。それは、現地の環境クラブで学び育ち、今度は自分がフー太郎のような活動をしたいと思っている青年に出会うことで、着々とフー太郎の活動が大地に根付き育っていることを知った。

今後、ドライフルーツ工場を造る計画を知った参加者の一人がラリベラにキウイフルーツの苗を持ち込んだ。もしこれが成功し、日本でドライキウイが食べられることになったら、私達の旅もフー太郎の活動に大いに貢献したことになるだろうか。

環境クラブの子供達と一緒に小学校の裏庭に植えた、モリンガ、ペッパーツリー、ジャカランダの木々が大きく育ち、いつか緑いっぱいになったラリベラを孫の紀奈ちゃんが訪れ、「これが、おばあちゃんが私のために植えてくれた木なのね」と言ってくれる日が来るとしたら最高ではないか。

(松本支部長 小松弓子さん)

3年ぶりのラリベラ

動物たちが森に戻ってくることを願って、子供達が植林地に絵を掲げた

動物たちが森に戻ってくることを願って、子供達が植林地に絵を掲げた

3年前にはなかった2つの苗畑を訪ねた。そこに足を踏み入れれば、鮮やかな緑の若苗。何万、いや何十万本だろう、地植えのもの、ポット苗のもの。苗床は、小石まで取り除かれて黒土が柔らかい。

そこは、フー太郎が育てた爽やかな風が流れるラリベラの別天地だった。近くの村人に守られ育てられた若苗が、植林の日を待っていた。それに比べればなんとも過酷な大地だろう。立木の緑は萎れ、牛やヤギはわずかな緑に群れている。

3週間の滞在の後半にカゲロウのような虫が無数に飛んだ。雨季に入ったのだ。大地を叩きつけるように降る雨。乾季と雨季の極端な違い。主食のテフは、このような土地ならばの作物だろう、しかし食べる部分は見失いそうなほど小さい粒だ。

土曜日に開かれる市場に行ってみた。市場に運び込まれる物資はすべて人の肩やロバたちが運んでいた。個々にはわずかな商い品でも、それを扱う人々はおびただしい。牛の市場、鶏、穀物、塩、香辛料、衣類、飾り物の売り場。必死でのんびりで静かで雑然でにぎやかだ。道を行けばふと差し出された盲の人の手に驚き、親しく近寄る人の最後の要求は、何か物質的なもくろみだったと知る。まるで、中世の聖書に描かれている世界のように思えた。

愛知県から6年連続で植林に来ていた原田さんと、ギォルギス教会脇の植林を終えて、以前植えたという谷筋の場所を探した。枯れてしまった苗と、すでに背丈を3倍も越して太くなっていた木もあった。今年フー太郎は50万本からなる植林をしたという。人が環境を作り、環境が人を作る現実と真実。地道な努力と強い意志力。やがて森となって蓄えられる水。ご褒美は人々と地球の笑顔と思う。

(福島市 丹治計二さん)

エチオピアに新城の森を運動

奇跡の木『モリンガ』を植える子供達

奇跡の木『モリンガ』を植える子供達

昨年に引き続き、今年も7月4日から『エチオピアに新城の森を運動』の植林をするためにラリベラを訪問しました。

今年は2年目ということもあり、昨年にも増して現地の人々から快い協力を得ることができ、感激ひとしおでした。今回の作業は3日、植林本数は120本と僅かで、私個人としては物足りなさもありましたが、現地での都合もあり致し方ないこと、実現できただけでも幸せ。今は、すべての人たちに感謝し、特にフー太郎の森基金現地駐在員の岡野さん、現地スタッフのダスタオさんには格別にお世話になり、また、現地の人々の惜しみない協力にも深く感謝しております。現地スタッフのシサイさんたちも「今日は土曜日で仕事が休みだから」と、駆けつけ植林をしてくれた。

今年の植林地は昨年とほぼ同じ、世界文化遺産で有名なギォルギス教会の近くでした。雨季に入るのが遅れていることで、植林が難しいことに配慮して、岡野さんが2人の少女を水汲みとして確保してくれました。谷間で水をくみ上げ背負い(大変重労働!)運んで、植えた苗に水をやる。私は、1本1本丁寧に植えるよう依頼し、その木の成長を天に祈ると、彼ら彼女らも深くうなずく。ギォルギス教会の脇を通る時、彼らが必ずひざまずき祈ったのを目にしていたことによる、私の行為でした。言葉はわからない、でも、わからないのは言葉だけだった。

私は「これは日本の方法だが」と断ったうえで、植林の際の注意点を伝えた。(1)植える前の根は絶対に乾燥させないこと。(2)苗の根を傷めないこと。(3)植える際には、根のまわりに枯れ草やごみ、石ころなどいれないこと。(4)根の周りから空気を追い出すため、埋め戻した土を踏み固めること。(5)植えた後は、枯れ草などで根の周りを覆うこと。このことは、直射日光から守り乾燥を少しでも抑え、腐れば肥料になるからである。

どこまで理解されたかはわかりませんが、もちろん私は、こちらでの植林方法についても十分尊重したことをお断りしておきます。以上が、2010年のエチオピアに新城の森を運動の活動が無事終了しました報告です。

(新城市 原田要次郎さん)

© Copyright 2002-2024 Futaro Fund for Forest. All rights reserved.