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2006年の報告
フー太郎と行くエチオピア スタディツアー2006
これまでのツアー参加者から寄せられた報告
私は初め、日本を基準にしてエチオピアのことを考えていた。水が思うように使えない国で、貧しい国で、というようなことを。初めの頃は、水が思うように使えないことや、日本よりも思い切り設備の悪い宿泊施設、群がってくる子供たちに戸惑うこともあった。だが、エチオピアの人々と触れ合ってすごしていくうちに、エチオピア人であろうが、日本人であろうが結局は同じ人間なんだな、と思った。そしていつしか、エチオピアを基準にして日本のことを考えている自分がいた。日本人はなぜあんなに水を使うんだろう、もったいない。日本人はなぜあんなに物をたくさん買うんだろう、日本人て変だな、淋しい国だなと思うようになっていた。
(京都文教大・荻島佳織さん)
ナクテラ小学校で仲良くなった子供たちは、私をぐいぐいひっぱって、自分が育てている木のある場所に案内してくれました。自分のものではない木のこともよく知っており、これはライム、これはバナナ、これはまだまだ大きくなる、と色々なことを教えてくれました。とても自慢げで嬉しそうに見えました。植林をするときに手伝ってくれた子供達は、私より木のことをよく知っていて「ここが緑でいっぱいになればいいなぁ」と言っていました。まず一番大切なのが、なぜ木が必要なのかを知ることです。そして、どの木がこの土地にあっているのか、どのように育てるのか、などということ。そのことを現地の人々に教えているFFFのことを知って、すごいなぁと思い、尊敬の念を抱きました。
(京都文教大・清水香里さん)
日本に帰ってきて、日常を客観視できる。なんのためにこれはあるのか?これは必要なのか?そんなことをいつも自分に問いただしている。物に溢れた日本が奇妙に見える。日本の豊かさに慣れてはいけない。水道をひねると水が流れるのが当たり前だと思ってはいけない。エチオピアだけではなく、多くの国がそうなのだ。日本が特殊なのだ。
(京都文教大・池田知恵さん)
実際に溜池プロジェクトの現場に行くと、その事の凄さが以前より増して分かった気がしました。NGOや開発援助の話を聞いて「私も何かしたい」と思っていました。でも色々本を読んだりしていると、それはとても大きな問題で自分ではどうしようも出来ないことなんじゃないかと落ち込んだりしていました。でも今回のツアーに参加して、少しずつの作業だけどちゃんと何かに出来ている、あんな大きなモノを作ることが出来ている、と思うと自分も何か出来るんじゃ・・・と思えるようになりました。
(京都文教大・福井綾子さん)