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フー太郎のあしあと 〜FFFのストーリー〜
エチオピアは9割の森を失ってしまった。
新妻香織(基金理事長)がフー太郎と出会ったのは、エチオピアが30年にわたる内戦を終えたばかりの1994年のこと。少年たちにいじめられていたふくろうの子供(フー太郎)を買い取ったことがはじまりでした。ふたたびフー太郎を自然に帰すため、2人(1人と1羽?)は森を捜す旅に出掛けます。
しかし、目に映るのはどこまでも続く乾いた大地ばかり。森どころか1本の木を見つけることさえ難しいという有り様でした。「森はどこへ消えたのだろう?」。そう、エチオピアはここ数十年の間に、いきすぎた農地の拡張(過耕作)や過放牧、燃料確保のための無計画な森林伐採によって、かつて国土の40%あった森をわずか4%にまで減らしてしまっていたのです。
木がないということ、それは土が無くなり、水がなくなってしまうという事態を招きます。エチオピアの人々は乾季の干上がった川を掘り、わずかににじみ出る泥水をすくっていました。年間10億トンもの土壌流出で土地は痩せ、農業も立ちゆかない状態に陥っていたのでした。
フー太郎が安心して帰れる森を作ってあげたい。
この深刻な水と緑の問題に対して何らかのアクションを起こさなければ。
そんな思いからフー太郎の森基金の一歩は踏み出されました。
皆さんの支援で活動がスタートしました。
エチオピアから帰国した4年後の98年9月、「フー太郎の森基金」(FFF)は福島県相馬市で誕生します。専門的な知識もなく、発起人も発足式もなく、あるのは誰にも負けない情熱だけ。そんな少々心もとないスタートではありましたが、「1本の木から植えていきましょう」という私たちの呼びかけにあっという間に基金の応援団が全国に結成され、翌年には高知から青森まで41ヵ所を巡るキャンペーン活動が始まったのです。
絵本作家の葉祥明氏も「フー太郎物語 森におかえり」を絵本にしてくださり、すべての原画を額装して、基金に託してくださいました。
ゼロからのスタートでしたが、皆さんからいただいた支援金を持ち、再びアフリカへ。そして基金設立から一年後、エチオピアのラリベラに現地事務所を開設し、現地の人々と共に植林育林事業に乗り出しました。
11年間で35万本の木がラリベラに植えられました。
エチオピアでの活動はたくさんの苦労もありましたが、この10年間で確実に実を結んでいます。これまで約35万本の植林(活着率63%)、学校の建設、4 つの緑地公園造成、8つの溜池の造成を現地の人々と連携をとりながら進めてきました。FFFの活動はこの10年で大きく成長しました。現在は多くのプロジェクトが進められ、エチオピアの水と人々の暮らしをあらゆる側面からサポートしています。国内においても、毎年夏に行われる全国キャンペーンは平成20 年で10回目を数え47都道府県をすべて制覇することができました。私たちを支援してくださる応援団の輪も日本全国に広がっています。
フー太郎の森基金の活動
- 緑化プロジェクト
- 植林育林、環境教育、緑地公園造成
- 水資源開発プロジェクト
- 溜池造成、水源探査、水タンク設置
- 生活改善プロジェクト
- ゴミ回収、バイオガスと省エネ普及、学校建設
- 環境に関わるキャンペーン事業(国内)
- 全国キャンペーン、小学生向け公開講座、マイはし運動